Foto: CDU / Laurence Chaperon
でも、実はこのLaschet氏は選挙前から評判が悪く、とても勝てる候補ではない、というのが世論の一致した見方でした。
一部の識者からは、Realitätsverlust(英語で言えばLoss of Reality)、要は、如何に人心が自分から離れてしまっているかという現実を全く認識出来ていない人物、と評されてもいました。そして、案の定、大敗しているわけです。
選挙民の選択は、政権交代してSPD(社会民主党)に政権の主軸を期待する、方向なので、選挙後も未だに少数政党との連立に活路を見出すような発言をしていたLaschet氏は本当にLoss of Realityの状態だったのでしょうね。
このLaschet氏を見ていて私が思い起こすのが、何と言っても前首相の菅義偉氏、それと、JFA(日本サッカー協会)会長の田嶋幸三氏、サッカー日本代表監督の森保一氏です。
(続く)
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日本人大使館員12人だけ他国の軍用機に乗せてもらって早々に逃げ出して、日本と関わっていた現地スタップとその家族500人は置き去りにする、という。
どういう背景にせよ、今回は韓国の方がまだ上手くやりましたよ。
知人によると、日本の役所は、決断をしないこと、現状を変えないこと、に一所懸命なそうで。
政治家も役人も自分で考えて率先して動くということが出来ない。他人(=他国)が何をやるかを見てから考える。よって、すべて判断が遅れる。省庁の外郭団体なんかももろにそうですね。
他と違うことが出来ない、他社の動きを見てから考える、というところは民間企業にも間違いなくありますが、そこは経済活動、自分の会社がヤバくなったり潰れるかも、といった状況になれば、決断しなきゃいけないし前に踏み出さざるを得ない、という作用が必ず働きますが、潰れる心配がゼロの役所にはこの作用はまったく働かないですからね。
ドイツも欧州も今回上手くやったとは言えませんが、過去1か月のドイツ国内の議論を見ていて、彼我の差を感じています。
日本人として、ちょい恥ずかしい。
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日本政府はアフガニスタンのJICA現地スタッフを見捨てるな! | 山内康一山内康一|立憲民主党 福岡3区(福岡市早良区・西区・城南区の一部、糸島市) (kou1.info)
<a href="https://pixabay.com/ja/users/12019-12019/?utm_source=link-attribution&utm_medium=referral&utm_campaign=image&utm_content=80087">David Mark</a>による<a href="https://pixabay.com/ja/?utm_source=link-attribution&utm_medium=referral&utm_campaign=image&utm_content=80087">Pixabay</a>からの画像
ドイツも含めて欧州の政府は、危険に晒される可能性が高いアフガン現地スタッフとその家族の自国への移送を進めています。駐留国としての最低限の責務と考えているようです。
こうした際に日本人の安否ばかり気にするのが我々ですが、一番危険に晒されるのはむしろ外国人のために働いていた現地のアフガン人とその家族だと思うのです。
当事者の意向が第一ですが、日本国のために働いていた方々が希望するならば、他国(これはなかなか難しいかと)又は日本での受け入れなど、日本もやれるだけのことはやって欲しい、と心から思います。
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最終的にまだ中堅国の地位を抜け出せない大きな理由に(昔から言われていることですが)ストライカーとゴールキーパーの質が必ず挙げられますよね。ま、これは間違いないです。
実は、今回の東京オリンピックを見て、それ以上に深刻なのが「監督」じゃないだろうか、と思った次第です。
昨今かなりの数の日本人選手が欧州のクラブに所属していますし、選手によっては選手生活のピークを過ぎて日本に戻るまでになっています。
代表に選ばれるような選手はもう相当欧州の空気を吸っていて、少なくとも、相手がどんなに強くても自分のプレーは見失わないようになった気がします。昔のようにアタフタすることは確実に減りましたね。単純に言ってしまえば。慣れた。
そんな中、最も欧州のレベルに追い付いていないのが間違いなく「監督」です。男子でも女子でも、今夏、それを目の当たりにした気がします。
欧州のクラブで監督出来る日本人なんてまだ誰もいませんもん。
トップレベルで采配出来る経験も力量も到底ないし、そもそも言葉も全く出来ない。欧州クラブの監督達は3つ4つの言語は普通に話します。
欧州で活躍して一線を退いた選手達がコーチライセンスを取って代表チームを率いるようになるまでは、まだまだ我慢という感じでしょうね。
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それにしても、「なでしこ」にガタイを求めるネット民達は何なんでしょう?
日本人の身長に関しては以前も書きましたが、自分達が165cmそこそこのくせに女性陣に背丈や体格を求める方が筋違いじゃないかと。しかもそういう男に限って、ちびっ子い、欧米から見ればほとんど少女趣味のような女の子を好んだりしますから。
アスリートに体格を求める前に日本人自身が大きくなることを目指さないと、一部の例外をピックアップして育てるだけでは限界がありますよね。
以前、日本の中小企業支援団体の方々(確か全部で8人ぐらいだったと思いますが)と会食した際にやはりこの話を持ち出しまして、若い方にはご自身とご自身と同性の親との身長差、年配の方にはご自身とその同性のお子さんとの身長差、を伺ったのですが、ほぼ皆様、若い世代の方が身長が低かったのです。単なる偶然ではありますが。
でも、次世代が親世代より小さくなっているのは事実みたい:
10代の若者の身長低下がとまらない?|荒川和久/「結婚滅亡」著者 (nikkei.com)
とにかく、小柄・可愛い女の子を好む日本男のあの趣味が私はどうにも苦手です。
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世界の記者が見た東京五輪:これを最後にアテネに戻せ IOCのバッハ会長の傲慢さに米メディア猛反発(1/5) | JBpress (ジェイビープレス) (ismedia.jp)
実は自分自身も自分の周りの人でもかなり昔からこれを言っていて、そもそも、地球環境が最大の課題の今、自然を壊して無駄な建物を建てて、またそれを壊して、を延々やっていることが理解出来ない。それに、候補地選びの度に不正だ賄賂だと騒がれ、選ばれた方だって妙に勘繰られるわけで、環境を破壊し、不正を疑われ、莫大な負債を抱えるようなイベントを誰がやりたいと思うのだろうか?、と思ってしまうわけです。
冬はどうしたら良いのか判らないですが、夏の大会はもう常にアテネでやったら良いと思うのですよ。
同じ施設を補修しながら繰り返し使えるし、候補地選びの不正も無くなるし、定期的にギリシャ国民にも仕事が出来るじゃないですか(それでまたギリシャ国内で腐敗が起きるのかしら?)。
それでも毎回毎回持ち回りでやるのは、余程、利権と既得権が絡むのだろうな、と思います。
今回の東京オリンピックで日本国民も如何に無駄なお金が使われているかつくづく判ったと思うので、もう日本でのオリンピックは懲り懲り、という機運になることを期待しますが、例によってそのうち、またやろう、とか言い出すんだろうな〜。利権が絡むから。
くれぐれも申し上げますが、私はオリンピックそのものに反対ではありません。むしろ好きです。
ま、IOCもFIFAも間違いなく腐っていますね。
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居酒屋での「禁煙」をテーマに書いた時には、私はこんなことを書いています。
「当時、イタリア、スペインなどの南欧諸国は、北ヨーロッパより喫煙者が多かった印象で、よくぞやってくれたと感心したものですが、実はこれって結構深いな〜と思ったのです。私の勝手な想像なんですけど、これらの国に共通するのは、ものすごく「食「と「company(交際)」を大事にする国々だってこと。」
お店全体の雰囲気も味わいたいし、他人の顔や行動を見ているのも面白いし、あわよくば見知らぬ人との会話なんかに発展するのも楽しい、と思うのですが、他人とその場の雰囲気を共有出来るようなこうした場所まで最近の日本は身内のみで楽しむ志向、(日本じゃ)私の方がやっぱり変なんでしょうかね?
交際を大切に。
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出張で日本に戻った時の大きな楽しみの一つが食事、特にいわゆる「居酒屋」での時間がこの上ない喜びであることは大分前のブログ「「居酒屋」の喫煙」でも書きました。その時は日本の食事場所での「喫煙」文化に異議を唱えたのですが、もう1つ私が非常に苦手にしているものがあります。
日本の「個室」文化です。
たまにしか日本を訪れないので良く判るのですが、この日本の「個室」文化、どんどん(私から見て)気に入らない方向に向かっておりまして、つまり、以前は見晴らしの良いスペーシャスな場所だったところですら、最近訪れたら沢山の個室に模様替えされていたりして、甚だガッカリした経験が一度や二度ではないからです。
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コンサートマスターがセクハラで解任されたり、ヴェルザー=メストを軒並み批判する地元紙の批評家と訴訟問題になったりと、色々お家騒動があって順風満帆というわけでもないようですけれど、聴きながら、ふと、ジョージ・セル時代のクリーブランド管弦楽団を思い出して、昔からこのオーケストラの硬質な透明感は有名でしたけれど、いくらメンバーが変わってもアジア系の弦奏者が多くなっても(普段演奏するホームグラウンドのせいなのですかね?)、連綿として受け継がれる伝統とかキャラクターみたいなものやはりあるのかしら、と改めて思った次第です。
音楽の喜びを大切に。
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最近の指揮者のご多分に漏れず、フランツ・ヴェルザー=メストも、感情より頭脳優先の、思い入れなしタカタカ速攻振りなもんで、こりゃアマチュアじゃ無理だわ、と思わせる、ま、とりわけ好きになりそうにはない演奏ですけれど、クリーブランド管弦楽団の機敏さというかアジリティというか機能性というのか、素直に上手いと思いました。欧州ツアーということでそれなりに準備したとは思いますが、それでもあのハイテンポで各奏者の音のキレイに揃っていること。女性メンバーが多くなって表情豊かで見ていても楽しい。
セルが亡くなった後、クリストフ・フォン・ドホナーニ(Christoph von Dohnányi)の時代も含め色々な努力があったのだろうと思いますが、最近のクリーブランド管弦楽団のライブ演奏を聴いて、未だ凄いオーケストラだと思いました。大半の欧州のオーケストラより上じゃないですかね? 録音のせいかもしれませんが、音も欧州のオーケストラより澄んでいるというか濁ってない感じ。ま、クリーブランドに限らずアメリカには軒並み凄いオーケストラがあるのは周知の事実なので、別に不思議でもなんでもないのですけれど、クリーブランド管弦楽団って独特ですよね。
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かなり長く更新しませんでしたが、2019年は後半にそこそこお仕事を頂いて、今年も3月までは日本に行ったりアメリカに出張したりと(この話は後日書きたいと思っています)、なんか筆を取る気にならず、いけませんね、こんなんでは。
圧倒的に自宅に居ることが多くなって、最近また多少書く気が出てきたので、ちょっとづつテーマを溜めています。
復活後、何をまず書こうか、と考えて、暫く音楽ネタをやっていなかったし、自分にとっても気楽なものから始めようと思い、今回のテーマに至った次第です。
実は、最近、テレビでフランツ・ヴェルザー=メスト(Franz Welser-Möst)が指揮するクリーブランド管弦楽団(The Cleveland Orchestra)の演奏を立て続けに聴く機会があって、なんか昔を思い出したのと、改めて感心したので、書いてみようと思いました。
ジョージ・セル(George Szell)が指揮するクリーブランド管弦楽団は私が学生の頃に好んで聴いたコンビの1つで、何と言っても、その緻密な、透明な、統率された演奏にいたく惹かれました。
しかし、クリーブランドという立地と地域重工業の衰退から、オーケストラ運営は厳しいだろうな、と常々思っていました。アメリカのオーケストラは公のサポートがなくプライベート資金が頼りだし、ニューヨークやロサンゼルスのような人口、経済を背景としているわけでもないですしね。
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電気自動車が増えたらその電気はどうするんだい? という議論が当然のようにありますけれど、どうもドイツは自然エネルギー(特に風力発電)で作った電気をそれに回そうと考えているように見えます。確かにそれなら、火力発電は減らせなくても車が排出するCO2分は減らせる。原発廃止分と電気自動車分両方をカバー出来るのかどうかはわかりませんが、二兎を追うならそれしかないような。
火力発電所は減らせない気がします。安定しない自然エネルギー産の電気のバックアップは絶対要りますものね。
日本も既存の発電方法の代替と考えるのではなくて、CO2排出を減らすため、と考えればいいのじゃないですかね。原発を減らすがために火力発電が増えたとしても、自動車排出のCO2を減らせれば、社会としてはなんか良い方向に回転する気もするのです。
あの糞暑い日本の夏ですからね。しかもその時に一番電力需要が多い。折角のそんなお天道様の力を借りないのは甚だ勿体ないと思う次第です。
自然の力を大切に。
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流石に日本の行政もその辺は遅ればせながら考えているようで、いわゆる「自己消費型太陽光発電」という方向に持っていこうとしているようですね。これはとても良いことと思います。やはり作った電気は自分で使い、それ以上必要な部分を電力会社から買う、というのが最も素直だと思うのですよ。
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それに、日本はドイツなんかより間違いなく太陽光発電には有利(単純に日照時間が長い)です。うちの田舎の駅前の駐車場なんかカンカン照りですからね。もしパネル付のカーポートにすれば、駐車した車の温度もそこまで上がらないし、電気は作れるし、言うことなしと思うのですよ。
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最近、日本でも、結構沢山、太陽光パネルを見ます。でも、大方は(多分これまでの政策の帰結と思いますが)わざわざ森や林を切り開いたり、ゴルフ場を転換してみたり、非耕作農地を転換してみたり、私個人かすると、なんか相いれないのです。しかも、日本の地形柄、規模が小さい。
そもそも自然を壊して太陽光パネルを据え付けるというのが本末転倒だと考えるし、農地は本来作物を作るところである、と思うわけです。自然を壊せばより災害が増えるのは日本人はもう重々理解していると思うのですが。もっとも、農地に関しては、どうせ耕作してないんだったら、別な利用をした方がまだ良い、という発想のようで、これはこれで日本の農業政策の間違いの帰結だろうな、と私は考えております。以前もちょっと書きましたが。
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